なぜ日本だけが延命し続けるのか

欧米では、回復見込みのない患者への過剰な医療介入は倫理的に問題とされ、緩和ケアへの移行が標準的な選択肢として確立している。日本ではそうなっていない。

理由①:本人の意思が制度化されていない

欧米ではリビング・ウィル(事前指示書)や医療代理人の指定が法的・制度的に整備されている国が多い。本人が元気なうちに「こうなったら延命はしない」と決めておける。

日本にはこれに相当する法制度が整っていない。人生会議(ACP)という取り組みは始まっているが、普及率は低く、法的拘束力もない。結果、判断は家族に丸投げされる。

ただし先に断っておく。意思表示の制度を整えるだけでは解決しない。後述するとおり、初期設定が「やる」のままでは、意思表示しない大多数はそのまま延命されるからだ。

理由②:家族が「やめる」判断を下せない

家族にとって延命の中止は、実質的に「死なせる決断」として体験される。親族間の非難、後悔、罪悪感——これらを避ける最も簡単な選択が「とりあえず続ける」なのだ。

そして続けるコストは家族にはほとんどかからない。1割負担で上限つき。判断のコストは重く、金銭のコストは軽い。この非対称が延命を選ばせる。

理由③:医療機関に続けるインセンティブがある

出来高払いの制度下では、医療行為の継続は医療機関の収入になる。積極的に中止を提案する経済的動機は存在しない。療養病床のベッドを埋めておくことにも合理性が生じる。

これは医療者個人の倫理の問題ではない。そう設計された制度が、そう振る舞わせているだけだ。

 

年金目的の延命という現実

ここは日本の終末期医療で最も語られない部分だ。本人が生存している限り、年金は振り込まれ続ける。

国民年金だけでも月6万円台、厚生年金を受給していれば月15〜20万円以上になることもある。この入金が家計の柱になっている家庭では、延命の中止は収入の停止を意味する。

実際、年金の不正受給——死亡を届け出ずに受給を続ける事件——は繰り返し摘発されている。届け出ないことが割に合う構造がある限り、延命を「選ぶ」動機もまた生じる。

延命を継続した場合の経済構造(概念図)
項目本人・家族側社会側
医療費(月数十万〜数百万円)1割負担+高額療養費上限で数万円残りを税金と現役世代の保険料が負担
年金(月6〜20万円)生存している限り受給継続年金財政から支出
判断のコスト中止=家族間の軋轢・罪悪感
合理的な選択継続負担は膨らみ続ける

※制度が個人にとって「続けるほうが得」になっている点が問題の核心であり、個々の家族を責める趣旨ではない。

 

この表を見れば分かるとおり、個々の家族は完全に合理的に振る舞っている。おかしいのは、その合理的な行動の請求書が丸ごと現役世代に回る制度のほうだ。

 

 

延命治療に投じられている金額の規模感

13.5兆円という規模を他の国家予算と比べる現役世代が高齢者医療へ拠出している金額の大きさ13.5兆円という規模を他の国家予算と比べる現役世代が高齢者医療へ拠出している金額の大きさ現役世代→高齢者医療への移転約13.5兆円防衛費(2025年度)約8.1兆円公共事業費約6〜7兆円文部科学省予算約5.3兆円児童手当の総給付額約3兆円防衛費の約1.7倍。児童手当なら4.5倍にできる金額が高齢者医療へ流れている
現役世代からの移転13.5兆円は防衛費の約1.7倍

 

児童手当の4.5倍。子育て支援を4倍に増やしてもまだ釣りが来る金額が、高齢者医療に投じられている。

もちろん全額が延命治療というわけではない。だが生涯医療費の約40%が最後の1〜2年に集中するという事実を踏まえれば、その塊がどれほど大きいかは想像がつく。

「命に値段をつけるのか」への回答

この議論を始めると必ず出る反論だ。答えは「すでにつけている」である。

保険財政は有限だ。ある治療に金を使えば、別の治療には使えない。終末期の延命に資源を集中させることは、その分だけ子どもの医療や現役世代の予防医療から資源を奪っているということだ。値段をつけないという選択肢は最初から存在しない。あるのは「誰が決めるか」だけである。

 

延命は「医療」ではない。保険給付から外してオプションにしろ

ここまでの構造を踏まえて、結論を出す。問題の根本は、延命が「医療」として保険給付されていることにある。

公的医療保険が給付すべきものは「治療」だ

医療保険の目的は何か。病気やケガを治し、機能を回復させ、苦痛を取り除くことだ。個人では負担しきれない治療費をリスク分散する仕組みである。

では、回復の見込みがない状態で人工呼吸器と経管栄養によって生命を維持し続けることは、治療だろうか。治していない。回復もしない。機能も戻らない。

これは治療ではなく、生命の維持そのものを目的とした処置だ。価値観としてそれを望む人がいることは否定しない。だが治療とは別のカテゴリである。

だから保険給付から外し、オプションにする

主張は単純だ。回復の見込みがない状態での生命維持は、公的医療保険の給付対象から外す。希望する人は自費または任意保険で受ける。

禁止ではない。誰の金でやるのかという話だ。望む人は自分の金でやればいい。望まない人と、その費用を負担させられている現役世代を巻き込むな、というだけである。

「治療」と「延命」を分けるとどうなるか
区分内容公的保険の扱い
治療回復・改善を目指す医療介入従来どおり保険給付
緩和ケア苦痛・症状の除去従来どおり保険給付(苦痛を取るのは治療である)
回復見込みのない生命維持人工呼吸器・経管栄養の無期限継続等給付対象外。自費または任意保険
救命・急性期回復可能性の判断がつくまでの措置従来どおり保険給付
判定回復可能性の医学的評価複数医師による判定と不服申立の仕組みを整備

※「回復見込みなし」の判定基準の設計が制度の要になる。恣意的な運用を防ぐ手続きの整備が前提。

 

なぜこれが効くのか——デフォルトが反転する

現在の制度では、「やる」がデフォルトで、しかも費用が誰も痛まない。だから家族は判断のコストだけを見て「続ける」を選ぶ。合理的な行動だ。

保険給付から外せば、この構造が反転する。「やらない」がデフォルトになり、続けたい人は費用を負担する側になる。

すると初めて、「その処置に、その金額を払う価値があるか」という当たり前の判断が働く。今はその判断が一切働いていない。

「残酷だ」という反論について

必ず言われる。だが現状のほうが残酷だ。

本人の意思が確認できないまま、意識のない状態で数年にわたり管につながれる。望んだかどうかも分からない処置を、費用が痛まないという理由だけで続けている。これを人道的とは呼べない。

そして他人に費用を負担させる権利は誰にもない。自分の価値観で延命を望むのは自由だが、その請求書を現役世代の給与天引きに回すのは別の話だ。

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胃ろう大国ニッポン——数字で見る異常さ

日本の終末期医療を象徴するのが胃ろう(PEG)だ。腹部に穴を開けて胃に直接栄養を送る処置である。

欧米では「非倫理的」とされる処置が日本では標準

認知症が進行して自力で食事が取れなくなった高齢者に対し、欧米では経管栄養を行わずに自然な経過に委ねるのが一般的だ。

アメリカの老年医学会は、進行した認知症患者への経管栄養を推奨しないという指針を出している。生存期間の延長効果が乏しく、誤嚥性肺炎や身体拘束のリスクを増やすためだ。

日本では逆に、標準的な選択肢として提示されてきた。結果として、意思疎通ができない状態で数年にわたり経管栄養を続けるケースが多数生じている。

なぜ日本だけが続けるのか

3つの理由が重なっている。①中止すると法的責任を問われるリスクを医療者が恐れる ②家族が「餓死させた」と非難されることを恐れる ③処置の継続に経済的なコストが本人・家族にかからない。

特に①が大きい。日本には治療の差し控え・中止に関する明確な法的枠組みがない。医療者は自衛のために「続ける」を選ぶ。

終末期医療をめぐる日本と欧米の違い
項目欧米(英・米・北欧等)日本
事前指示書法制度として整備(リビング・ウィル、医療代理人)法的枠組みがない。人生会議は普及率が低い
進行認知症への経管栄養推奨されない(学会指針)標準的な選択肢として提示されてきた
治療中止の法的位置づけ要件を満たせば適法と整理不明確。医療者は自衛的に継続
本人の費用負担国により相応の自己負担1割+高額療養費上限で軽微
緩和ケアへの移行標準的な選択肢として確立選択肢として示されないことがある

 

本人の意思は不明、家族は決められない、医療者は責任を負いたくない、費用は誰も痛まない。この4つが揃えば、結論は「続ける」以外にない。

終末期医療に集中する医療費の規模生涯医療費の約40%が最後の1〜2年に投じられている終末期医療に集中する医療費の規模生涯医療費の約40%が最後の1〜2年に投じられている生涯医療費のうち最後の1〜2年約40%入院費用が医療費に占める割合約40〜50%薬剤費が医療費に占める割合約25〜30%後期高齢者本人が負担する財源割合10%最大の支出が「治すための医療」ではなく「終わりを引き延ばすための医療」に向かっている
生涯医療費の約40%が最後の1〜2年に集中

 

 

「選べる制度」では何も変わらない——デフォルトを反転させろ

この問題への典型的な処方箋は「本人が事前に意思表示できる制度を整えよう」というものだ。だがそれでは何も変わらない。

オプトインは機能しない

日本では既に人生会議(ACP)という取り組みがある。将来の医療・ケアについて本人・家族・医療者があらかじめ話し合っておく仕組みだ。

だが普及率は低く、法的拘束力もない。いざそのときになれば、家族の意向や医療者の判断が優先される。

理由は明白だ。元気なうちに自分の死に方を決めるのは、心理的なコストが高い。先送りしても直近の不利益はない。だから大半の人は決めないまま倒れる。

デフォルトの力——臓器提供が示した実証

行動経済学でよく引かれる例がある。臓器提供の同意率だ。

本人が「提供する」と意思表示する方式(オプトイン)の国では同意率が低く、「拒否しない限り提供に同意したとみなす」方式(オプトアウト)の国では同意率が桁違いに高くなる。国民性の差ではない。デフォルト設定の差だ。

人は「決めない」を選びやすい。そして決めなかったとき、何が起きるかを決めているのがデフォルトである。

終末期医療のデフォルトは「やる」になっている

現状のデフォルトを整理しよう。本人が何も決めていない場合、医療機関は原則として生命維持を継続する。

しかも費用が家族の判断に一切影響しない。1割負担+高額療養費の上限で、月数万円しか動かない。

決めないほうが楽で、続けるほうが安い。この設定では、いくら「選べる制度」を用意しても、選ばれるのは常に「継続」だ。

「選べる制度」と「デフォルト反転」の違い
項目選べる制度(現在の方向性)デフォルト反転(保険給付から外す)
初期設定やるやらない
決めなかった場合延命が継続される緩和ケアへ移行
意思表示が必要な側やめたい人やりたい人
費用の負担者税・現役世代の保険料選んだ本人(自費・任意保険)
家族の判断コスト「死なせる決断」として重い制度上の初期設定に従うだけ
実際の帰結ほぼ全員が延命望む人だけが延命

 

意思表示を求める相手を、やめたい人からやりたい人へ入れ替える。これだけで結果はまったく違うものになる。

費用の面でも同じ構造が働く

保険給付から外せば、延命を望む人が費用を負担することになる。すると「その処置に、その金額を払う価値があるか」という判断が初めて働く。

今はその判断が完全に欠落している。誰も痛まない金だから、誰も検討しない。

独身・身寄りなしなら、なおさら先に決めておく必要がある

家族がいない場合、意思決定を代行する人がいない。結果として「とりあえず全部やる」が選ばれる可能性が高い。

生涯未婚率が上がり続けている日本では、この層が今後急増する。自分が望まない延命に、自分の預金と現役世代の保険料が使われることになる。

独身・身寄りなしの人が事前に準備できること
手段内容効力
事前指示書(リビング・ウィル)延命治療の希望を書面化法的拘束力はないが、判断材料として重視される
任意後見契約判断能力低下後の代理人を事前に指定公正証書で法的効力あり
死後事務委任契約葬儀・納骨・各種手続きを委任契約として有効
ACP(人生会議)医療者・信頼できる人と方針を共有記録が残れば実務上の影響力は大きい
身元保証サービス入院・入所時の保証人を代行費用と業者の信頼性の見極めが必要

※任意後見・死後事務委任は公証人・弁護士等への相談が前提。

 

制度が変わるのを待つより、自分の分だけでも先に決めておくほうが早い。現行制度のデフォルトは「やる」なので、何も準備しなければ、望まない延命に自分の預金と現役世代の保険料が使われることになる。

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まとめ——この記事の要点

終末期医療が膨張し続けるのは、延命が「医療」として保険給付されているからだ。回復の見込みがない生命維持は治療ではない。給付対象から外し、望む人が自費で選ぶオプションにすべきである。

延命を保険給付から外すと何が変わるか禁止ではなくオプション化。変わるのは初期設定と費用の負担者だ延命を保険給付から外すと何が変わるか禁止ではなくオプション化。変わるのは初期設定と費用の負担者だ現在(保険給付)オプション化後初期設定やるやらない(緩和ケアへ移行)意思表示が必要な側やめたい人やりたい人費用の負担者税と現役世代の保険料選んだ本人(自費・任意保険)家族の判断「死なせる決断」を背負う初期設定に従うだけ緩和ケア保険給付保険給付のまま(治療だから)実際の帰結ほぼ全員が延命望む人だけが延命「選べる制度」では初期設定が「やる」のまま。結局ほぼ全員が延命に流れる
変えるべきは選択肢ではなく初期設定

 

この記事の要点

生涯医療費の約40%が人生最後の1〜2年に集中する

1回の入院で数百万円。だが本人負担は1割+高額療養費の上限で軽微

本人が生存する限り年金は支給され続ける——継続が経済的に有利になる構造

治療=回復を目指す介入。回復見込みのない生命維持はこれに当たらない

「選べる制度」では変わらない——初期設定が「やる」である限り、選ばれるのは継続

保険給付から外せばデフォルトが反転する。意思表示を求める相手が、やめたい人からやりたい人へ変わる

緩和ケアは治療として保険給付に残す。外すのは回復見込みのない生命維持に限る

 

禁止ではない。誰の金でやるのかという話だ。望む人は自分の金でやればいい。望まない人と、費用を負担させられている現役世代を巻き込むな、というだけである。