自己責任論が正しい理由①:現実的に考えれば、責任の所在の言及に意味がない

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根本的な勘違いをしていないか?自己責任論者は責任の所在に言及しているのではない

まず、根本的な勘違いをしている人が多いので指摘しておきましょう。自己責任論者がなぜ「おまえの自己責任だ!」と発言しているのか理解していますか?

 

自己責任論者に対する返しとしてよく見る勘違いは、「才能や生まれとか親ガチャで決まるから、自己責任のわけがない」「社会のせいだから、自己責任のわけがない」といった内容です。

 

 

 

こういうマヌケな返しを見ると「そんなのは自己責任論者も理解していますが?文脈読めてる?」と言いたくなります

例えば、精神障害や発達障害は極めて遺伝率が高いことが知られています。他にも音楽の才能、絵画の才能は遺伝の影響が極めて高く、数学的処理能力・言語能力からやる気や集中力までほとんどの因子が遺伝子と関係していることが最近の研究で明らかになってきています。

そのため、精神障害やADHDやASDで仕事や人間関係が上手くいかなかったり、才能や知能が低かったりやる気や興味が持てないため経済的成功が得られなかったりすることの原因は、その人の努力の問題ではなく、その人の遺伝子に問題があることは明らかでしょう。

 

 

 

自己責任論者は「迷惑だから俺に愚痴るな」と言っているだけ

自己責任論者の「おまえの自己責任だ!」という言葉を額面通りに受け取っているから、このような的外れの返しになるのでしょう。

当たり前の話ですが「おまえの自己責任だ!」という言葉の本質的な意味は、「おまえの無能の根源はおまえの努力不足だ」と言っているわけではありません。「おまえが無能かどうかは俺は興味が無い。迷惑だから俺の前で愚痴るな」と言っているだけなんですよ。

 

例えば、昼休みに食事に行くたびに会社の同僚から上司の悪口や愚痴を聞かされたらどうでしょうか?ウザイですよね?鬱陶しいですよね?

そんなときに「そんなに嫌なら会社辞めれば?」って返したことはありませんか?

「そんなに嫌なら会社辞めれば?」という言葉は別にその人に転職を勧めているわけではないです。「ウザイから俺に愚痴るな」というのを遠回しに言っているだけです。

「おまえの自己責任だ!」という言葉はこれを同じ文脈で使われているんです。

 

世の中で成功できなかったり生きづらい原因が遺伝子や社会にあったとしても、遺伝子も社会も変えようがないので、そんな議論には意味が無いんですよ。責任の所在の言及に意味がない。人は持っている物・生まれた環境で戦うしかないんです。

こういう愚痴・泣き言を言うアホの"本音"は、問題解決や原因究明のために言っているのではなく「それは大変だったね」「それは辛いね」と共感して欲しいだけの「甘え」なんですよ。なのに「自己責任だ!」と突き放されて誰も甘やかしてくれないから、「自己責任論ハンターイ!」って叫んでるわけです。子供かよ!って話ですね。

自己責任論者はこういうアホ共に「赤の他人相手や、インターネットのような公共の場で、幼稚な感情論や愚痴を垂れ流さないでもらえますか?迷惑ですよ!」と言っているだけなんですよ。

よく「自己責任論者は弱者の気持ちがわからない」「自己責任論者は配慮や共感に欠けている」とか言われてるんですけど、これは全く逆で、実際は「自己責任論"反対"論者が、しょうもない愚痴を聞かされる相手の気持ちへの配慮が欠けている」というのが事実です。

 

自己責任論"反対"論者がまず理解すべきことは「世の中のほとんどの人は、あなたが辛いとか生きづらいとかの問題に、興味も関心もない」ということです。関係ない他人にしょうもない「俺は辛いんだ!」自分語りしないでくださいね?家で一人で人形とか相手に愚痴ってろよ?

 

 

自己責任論が正しい理由②:現実的に考えれば、弱者の切り捨ては必要

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資源は限られているので、弱者の切り捨ては必要

自己責任論が正しい理由の2つ目は、現実的に考えれば世の中の資源は限られているので、弱者の切り捨ては必要不可欠という点です。

 

多くの場合、国家や共同体は「組織全体の長期的持続性や効率性」「最大多数の最大幸福」を目指すために設計されています

その設計思想から外れるマイノリティやイレギュラーは多くの場合見捨てられ、マジョリティがこのような層のために譲歩することはありませんし、少数の外れ値のために社会全体を対応させることは非合理的・非効率です。

 

例えば、近年は性的マイノリティが注目されていて、Facebookの性別欄は58種類あるという話がニュースになったりしました。では、「これらの58種類の性別に対応するため、日本中のトイレを58種類に分割します。そのために増税と民家の立ち退きを行います!」って言われたら、あなたは納得できますか?

このような非現実的なトイレ改装が行われることはありません。せいぜい「男」「女」「多目的」と3つに分けるくらいでしょう。世の中は少しづつですがマイノリティに寛容になってきていますが、完全に少数個別対応されることはありません。社会は常に丁度良い"現実的な落としどころ"を模索しているのです。

そして、余裕がある状況であればより多くの多様性に対応できますが、日本のように経済が低迷しており少子高齢化で未来が見えない国家の場合、"現実的な落としどころ"の損切ラインが厳しくなってくるのは当然なのです。

 

 

 

「誰も切り捨てない社会」なんてのはキレイゴト・詭弁です。予算や資源や時間には限りがありますので、国家や集団を効率的に運営するため、大多数の幸福のために、マイノリティやお荷物が切り捨てられるなんてのはよくある話なんですよ。

いいオトナが「誰も切り捨てない社会」なんて高尚で理想的だが非現実的な妄想を抱いている時点で、かなり気持ち悪いです。中二病とかと同レベルですね、こういうのは中学生までに卒業しましょう。マトモな大人に相応しい現実的で客観的な目線を身につけてください。

 

 

「自己責任」という言葉は”ウソ”ではあるが、切り捨ての建前に都合が良い

上述したとおり現実的な社会運営に切り捨ては必須なのですが、いざ切り捨てを行おうとすると「切り捨てられる側の人間」が文句を垂れて社会の足を引っ張るんですよ。迷惑極まりないです。

こういう層は「自分が損になるのは嫌だ」「俺を切り捨てるな」という自分勝手な考えが根底にあり、我が身可愛さからポジショントークしてる恥知らずなので、社会全体の合理性や公益性をいくら説明しても聞く耳を持ちません。「いくら社会が良くなっても、自分がその社会から切り離されてしまったら意味がない」といった考え方なんでしょう。どこまでも自分本位な自己中思考です。

 

そこで、このような愚か者相手にぶつける言葉として便利なのが「自己責任」という言葉です。

前述したとおり、本質的な話をするならば、切り捨てられるマイノリティや無能は本人の努力不足ではなく遺伝子の問題です。ですが、「君たちは悪くないけど社会のために切り捨てます」と本当の事を言ったとしても、自分勝手な社会のクズどもは「何で俺ら悪くないのに切り捨てられるんだ!」と文句を垂れるでしょう。しかもタチが悪いのは、このような劣等遺伝子を甘やかして繁殖させると、さらに文句を垂れる劣等遺伝子が増えてしまい将来で社会の協調を乱す因子が増えてしまいます。

 

「ファクトフルネス」「論理的思考力」の重要性が声高に叫ばれますが、残念ながら、全ての人が事実や論理を基にした現実的で客観的で俯瞰的な思考を出来るわけではありません。客観的事実や社会的意義をいくら説明しても、個人的感情や情動で判断してしまう残念な低能は一定数存在します。

現代社会は「科学」「事実・ファクト」「データ」が支配する社会となりましたが、未だに情動や宗教や思想が当たり前だった時代の感覚が抜けてないのでしょう。生物は環境に適応できますが、すぐには適応できませんので、ある意味仕方がないと言えます。現代社会(特にここ最近30年は)はファクトベースで物事が進みますが、ファクトで合理判断できない底辺層には”表向きの建前”が必要になることが多く、事実を事実として伝えることが必ずしも効率的とは言えないのです。

 

それならば、ウソであっても「お前の努力不足だ!自己責任だ!」という建前を使って、有無を言わさず強制的に切り捨ててしまった方が合理的です。

自己責任論は"社会運営の効率性"の面では実は圧倒的に正しいのです。