「貧困は努力不足!」「弱者は甘えるな!」という考え方は、現代社会では一般的な考え方になりました。自己責任ネオリベ社会の到来と言えるでしょう。
成人済の社会人であれば当然、自立と自制が求められます。都会で働いているビジネスマンであれば、自己責任・自業自得という考え方は最も納得がいく考え方と言えます。
しかし、貧困や弱者は本当に努力不足なのでしょうか??
貧困と知性・パーソナリティの問題については、当サイトではデータやエビデンスとともに解説しています。本記事は、それらのまとめ記事として自己責任論とネオリベ社会の展望についてまとめています。
結論から言えば以下となります。
◆貧困・弱者層は努力不足ではない
◆貧困・弱者層は環境や社会が悪いのではなく遺伝子が悪い
◆ネットで辛さや生きづらさを叫ぶ貧困・弱者層は甘え
◆貧困・弱者層を切り捨てても、治安悪化等の問題は起きにくい
◆自己責任ネオリベ社会の末路は、実はそれほど悪いものではない
自己責任論について、良く知らない方のために最初に簡単に解説しておきます。
自己責任論とは、個人が自身の行動や結果に対して責任を負うべきだという考え方を指します。具体的には、社会的な問題や困難に対して、個人が自己啓発や努力を通じて自己改善を図り、自らの能力や努力不足による問題の責任を自覚し、解決するべきだという主張です。
この考え方は、近年の日本社会において注目されており、政策やメディアなどで頻繁に取り上げられています。具体的な例としては、労働市場における非正規雇用や格差問題、高齢化や少子化による社会保障の問題、教育や就労の機会均等の問題などが挙げられます。
このような社会的な問題に対して、自己責任論は個人の選択や努力に焦点を当てることで、社会全体の負担を軽減し、個人の自立や成長を促すことを目指しています。一方で、社会的な要因や制度上の問題を無視して個人の責任だけを問うことに対しては批判的な意見も存在し、バランスの取れた議論が求められています。
自己責任論については、個人の考え方や価値観により異なる場合がありますが、世の中の一般的な意見は以下になっています。
貧困や弱者の生活が苦しいのは、単純に自己責任だけで説明することはできません。経済的な要因や社会的な要因、個人の能力や運による要因など、さまざまな要素が関与しています。
経済的な要因としては、雇用の不安定さや給与の低さ、経済的格差の拡大などが挙げられます。これらの要因は、個人の努力や能力だけでは変えることが難しいものです。
また、社会的な要因としては、教育の質や機会の不平等、差別や偏見、社会的な支援体制の不十分さなどがあります。これらの要因は、個人の努力だけでなく、社会全体の問題として取り組む必要があります。さらに、個人の能力や運による要因も考慮する必要があります。一部の人々は、努力や能力により困難を乗り越えることができるかもしれませんが、他の人々にはそれが難しい場合もあります。
したがって、貧困や弱者の生活が苦しいのは、自己責任だけで説明することはできず、経済的な要因、社会的な要因、個人の能力や運など多くの要素が関与していると言えます。
一方で、怠惰や慢心により貧困に陥ったケース、本人の不摂生な生活習慣により病気になり弱者となったケースなどは、本人に責任の一端があるという考え方が一般的です。また、日本の財源は限られており、少子高齢化社会により現役世代の負担増も問題となっていることから、全ての弱者・貧困層を救うことは現実的に無理であることは周知の事実です。
これからの社会では、社会全体のキャパシティを考慮した上で「どこまでは社会的支援でカバーし、どこから自己責任とするのか」を真剣に考えていく必要があります。
結論から言えば、貧困・弱者層は努力不足ではありません。貧困・弱者の大半は「IQが低い」「才能やパーソナリティが悪い」「発達障害や精神疾患」が影響しており、これら全てにおいて遺伝子による影響が大きいのです。
現代社会では、とにかく秀でた才能があるかどうかと、生きづらさの原因である精神疾患や発達障害という「人生の足を引っ張る要因」があるかないかで、人生の楽しさ・生きやすさがほとんど決まってしまいます。現代では、才能がない人や社会についていけない人は敬遠され排除されやすいからです。つまり「遺伝子がほぼ全て」と言っても過言ではありません。
また、IQ・知性は加齢やストレスや貧困によっても低下します。もともとIQが低い層に限って、処理能力に負担をかけて、さらにIQを下げやすい傾向にあります。その結果、ストレスでイライラして他人に攻撃的になり、余計に人生が上手くいかなくなるのです。
詳細は以下記事で解説しています。
⇒「環境のせいにするな」が嫌いで綺麗事に見える底辺弱者のアナタへ
⇒底辺貧乏人が余裕ないのは低能だから。目先の利益しか見ない馬鹿は相手にしない
要因 | 人生への影響度 | 自分で改善可能? |
---|---|---|
遺伝子 | 高 | 不可能 |
学校環境 | 中 | 不可能 |
職場環境 | 小 | 可能 |
家庭環境 | 極小 | 不可能 |
例えば、あなたが「やる気が出ないし、勉強に集中できない」と悩んでいたとします。その原因の半分は遺伝子であり、もう半分は学校や職場のせいです。
以上のような根拠は、当然、自己責任論者も把握しています。
では、なぜ自己責任論者は弱者や貧困が遺伝子の影響と理解しているにもかかわらず、「努力不足!」「甘え!」と叫ぶのでしょうか?
その理由は以下記事で詳しく解説しています。
⇒自己責任論者が「全てお前の自己責任だ!努力不足!甘え!」と主張する"本当の理由"
一方で、ネットやSNSで「環境のせいだ!」「社会のせいだ!」と叫んだり、才能を持って生まれた人に嫉妬でクソリプ投げているような人は、底辺のクズであり、甘えです。
ネットやSNSで愚痴を垂れ流したり他人を攻撃してもアナタの人生は何も変わりません。遺伝子は変えようがないので、変えようがないものに絶望したり悩んでも意味がないのです。
「環境のせい」は事実ですが、ネットで「環境のせい」と叫ぶことは甘えであり幼稚な感情の発露にすぎません。
昨今、「遺伝子や学校環境に恵まれなかった人達」によるネット・SNSでの誹謗中傷や犯罪行為が問題になっています。例えば、東大卒のアイドルが「勉強はこの世界で唯一努力が報われる分野なのに環境のせいにして努力しない人間本当に嫌い。持たざる者が人生逆転するなら勉強しかないんだよ」と投稿したところ、底辺のクズのクソリプが集まり大炎上しました。
この発言に補足をします。
— なつぴなつ (@natsupikkk) December 18, 2023
東大に入ってから少なくない数の人に「東大にまで入れたのは環境のおかげでしょ?」と言われるようになりました。
確かに私は中高一貫の進学校に入りました。家庭も比較的恵まれていたと思います。… https://t.co/2Z6XT9Cq05
劣等遺伝子を持ち無能に生まれたことについては本人に責任はありませんが、不幸だからと言って他人に嫉妬したり攻撃したりして良い理由にはなりません。甘えないでください!
ネットの炎上や誹謗中傷はもっと厳格に取り締まるべきだと思います。
IQが低いと攻撃的になる事や、SNSの有害性については以下記事で解説しています。
⇒境界知能はキレやすい?空気読めないしうざい悪口クレーマー気質!
なお、貧困層や弱者を切り捨てた結果、ネットの民度は落ちていますが、これはリアル社会での治安悪化にはつながっていません。
ネットやSNSでよく見る「弱者を切り捨てると無敵の人が生まれる!」「貧困層を切り捨てると治安悪化する!」というのは嘘ですので、くれぐれも騙されないようにしてください。
有害なポピュリズム等も、現在はネットで一部の層が盛り上がっているのみで、リアル社会においては99%の大多数の一般庶民には見向きもされていません。それどころか「気持ち悪いカルト宗教」として軽蔑されていますからね・・・。
⇒【あたおか】れいわ新選組どんな政党?⇒口だけポピュリズムのカルト【貧困層】#れいわはないわ
⇒れいわ信者は境界知能【研究結果出ました】ツイッターでクソリプするネット社会のゴミ
中間層の転落により貧困層や弱者は劇的に増えているのが今の日本です。しかし、逆に犯罪は劇的に減っていて気持ち悪いくらいに治安が良くなっているのです。なぜこのような事になるのかは以下記事で解説しています。
多くの方が誤解していますが、自己責任ネオリベ社会の末路は決して暗い物ではありません。理想的なユートピアが訪れると前向きに捉えても良いでしょう。
幸福な未来が訪れるかどうかは、「少子高齢化という短期的な課題をどのように乗り切るか」「AIや生命科学等の長期的なテクノロジーの進化をどのように加速させるか」にかかっています。
「少子化対策=とにかく子供を増やせばいい」という話ではなく、日本全体の「生産性」「労働リソース」をどうやって増やすのか?が本当の論点なのです。
今子供を作っても、成長して社会に出て日本を支える存在になるのは、今から20年~40年以上も後になります。その間にAIはさらに進歩しシンギュラリティを迎え、人間の社会を支えるのに「もはや人は不要」という状況になっていることが充分に考えられるのです。
少子高齢化による労働力が問題になるのはせいぜいあと40年程度の短期的な話です。そして、その後の未来では、AIに競争で負ける劣等遺伝子が子供をたくさん産んでも社会のお荷物になるだけなんですよ。社会のためになるどころか負担になる。大切なのは闇雲に子供を増やすことではありません。「AIが発展した社会でも存在価値がある優秀な少数精鋭の子供」を生産することです。
弱者切り捨ての自己責任ネオリベ社会は、この理想像と親和性が高く、上手に機能させることでAIが支配する未来社会に無理なく移行できます。
今、本当に考えるべきは、今後激しく時系列変化していくAIや生命科学技術進歩具合・社会基盤維持・出生数等を都度総合的に見て、お荷物を最小限にしつつ、かつ、社会に必要となる人的リソース不足を回避できる適切なバランス維持をどのように行っていくかです。
「私たちは未来の子孫たちのために幸福な社会を残す責任がある」という自覚を持ってください。
テクノロジーの進歩により私たち人間の大半がフリーライダーになってしまい、私たちの自尊心が損なわれ惨めになってしまう可能性がありますが、それでも私たちは未来の社会のために技術発展を推し進めなければならないのです。
「切り捨てられる弱者はどうなるのか?それはディストピアなのでは?」と考える人もいるでしょう。
しかし、それは視野が狭いと言わざるを得ません。弱者切り捨ての自己責任ネオリベ社会+生命科学とAIのテクノロジー進歩を数百年単位の長期間にわたって続けることによって、劣等遺伝子が淘汰されていくことを考慮に入れていますでしょうか?
今は切り捨てられる人がたくさんいます。能力の低い人や発達障害や境界知能など様々な理由で生きづらいと思います。ですが、これらの遺伝子を切り捨て淘汰し遺伝子の選別を行うことで、100年後には低能力・発達障害・境界知能が生まれにくくなっているはずなのです。遺伝子の純化が進むほど切り捨てられる人は減っていくことになります。
「生きづらい人」がそもそも生まれて来ない社会になる。これこそユートピアだと思いませんか?
そもそもの話・・・「鬱病」「発達障害」「生きづらさ」「遺伝子ガチャ」「親ガチャ」。これこそ明治~昭和の皆婚社会が生んだ地獄の始まりだと自覚してますでしょうか?
本来、生物の繁殖活動(=自由恋愛)においては「競争」と「淘汰」が起こりますが、これは劣った遺伝子を排除し環境に適応した遺伝子を残すための生物として必要な自浄機能・生態系の基本原則です。皆婚社会は人口を増やして労働力が欲しいという"人間の社会の都合"で、本来人間が生物として持っていた「淘汰」「競争」の原理を潰してしまったのです。
特に精神病・発達障害などの悪い遺伝要因の遺伝率が極めて高いです。もし、現代のあなたがこのような病気で苦しんでいるとしたら、それは150年前に本来は淘汰されて繁殖できなかったはずの劣等遺伝子を、皆婚規範により無理矢理残してしまったのが根本原因です。
私たちは過去に人の社会の都合で生物学的アルゴリズムを捻じ曲げてしまいました。今こそ、この歪みのリセットが必要なのです。
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